■元電通マン【藤沢涼】の挑戦

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祖父の13回忌で大叔父から学んだこと

2015年04月05日

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family0406

 

母子家庭で父がいなかった私が、

「父」として愛していた祖父の

13回忌を行いました。

 

鹿児島でHONDAの小売店を始め、

あっという間に100人以上の

社員を抱える大社長となって、

本田宗一郎氏からも

一目を置かれていた祖父。

 

芋焼酎で酔っぱらうといつも、

「スーパーカブ」というバイクが

爆発的に売れた日々の出来事を

楽しそうに話してくれていたことを

思い出します。

 

あれから12年の月日を経て、

祖父の孫4人には、4人の曾孫が

生まれました。

 

亡くなる命と共に、

新たな命があって、

先祖の教えが継承されていくということを、

桜が舞う中で、感慨深く思いました。

 

実は私は、祖父が酔っ払って帰って来て、

私の耳を噛むクセが、大嫌いでした。

 

でも、今、私は全く同じことを

息子にしています。

 

可愛くて可愛くて、

ついつい、耳を噛んでしまうのです。

 

理解できなかった祖父の行為も、

「愛情表現」だったのだと感じながら、

私は息子に嫌われないようにしようと

自戒しているところです。笑

 

法事の際に、

過去のことをしっかり覚えていて

話してくれるのは、

現在は祖母の弟だけになりました。

 

その大叔父に、

祖父が事業で成功した秘訣を聞いたところ、

 

「じいちゃんは、とにかく優しかった。

 だからこそ成功したし、失敗もした。」

 

と教えてくれました。

 

九州男児でありながらも、

人を叱ることが無く、

手を上げることも無く、

いつも優しく接していたからこそ、

多くの人に愛されたのです。

 

その一方で、

お願いごとを断れないからこそ、

借金の保証人になって

当時のお金で数千万円を失うなど、

結果的にはほとんど資産を残さずに

亡くなりました。

 

「おまえも優しい子だから、

 騙されないように気を付けるんだよ。」

 

大叔父の言葉が、

祖父の写真と重なって、

祖父が諭してくれたように感じました。

 

ビジネスに夢中になり過ぎると、

本当に大切なことを見失いがちです。

 

祖父の13回忌は、今の私にとって

とても大切なことを教えてくれました。

 

おじいちゃん、ありがとう。

 

おじいちゃんの優しさを受け継いだ上で、

周囲の人を大切にして、

妻と息子を守る為に、事業を頑張ります。

 

 

藤沢涼

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コメント

  • by 岩瀬玲子

    私の大好きだった、父方の祖父は、私の小さなときに岩手から埼玉へ一人でやってきて、「玲子ちゃん、結婚して下さい。」と言ってくれました。(笑)わざわざ、そんな冗談を言いにやってきたのかと幼心に思ったのを覚えていますがそれが最初で最後の一度きりで、後は自分の夏休みに岩手に遊びに行くことをいつも楽しみにしていました。
    祖父は、植物を愛し、彫刻が得意で、モクギョや動物やお面などを自分で作ったりするのを趣味としていました。作業場を覗くときに漂う木の香りをとても懐かしく思い出します。
    あるとき、フクロウの作品を、県主催の作品展へ出品したところ、最優秀賞を頂きましたが、賞はいらないからフクロウを返してほしいと訴えていたそうです。(笑)
    そんな祖父が、私のお年頃には、涙ながらに「命短し恋せよ乙女・・・」と歌ってくれたことを、私は今だに実の父親よりも自分を心配してくれていたと思うのです。
    98歳で永眠した祖父でしたが、病院に献体し、2年後に骨となって帰ってきたことは、話だけで、結局最期には会うことができなかったけれど、本当に愛すべき祖父だったということを今日また、思い起こしました。
    生きて会えることはもうありませんが、人は心の中でいつまでも思い出として生き続けるものですね。

    5 4月, 2015 4:08 PM




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