■元電通マン【藤沢涼】の挑戦

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電通を退社し、稼げる個人、輝く個人(=フリーエージェント)を量産する為に活動しております。

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挑戦せずに後悔したくはない

2013年01月31日

※藤沢涼は今何位??

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昨年の春、私は浜離宮にいました。

この直後、電通の退社を決めたのです。

私の頭の上にあるビルが、電通です。
世界一の広告代理店。

売上1.4兆円。

社員数7,000人。

平均年収1500万円。
新入社員から
年収700万円程度を得て、
4-5年目には、
年収1000万円を突破します。

有給は最大年間40日あり、
部署によっては、完全消化も可能。

福利厚生で
全国に宿泊施設やテニス場、
野球場などを完備。

テレビの収録や
雑誌の撮影に立ち会い、
毎日のように芸能界の方々と
接点がある。

健康保険や厚生年金も
国内トップクラス。

汐留に47階建ての自社ビル。
まさに一流企業。

勝ち組の会社員。
それでは、

「何故、電通を辞めたのですか?」

これには色んな理由があり、
今までも何度か記してきました。

そして、今改めて、
感じている強い感情が、

『挑戦せずに後悔したくはない』

というものです。
私の命が残り僅かだとして、
会社員で終わる人生で良いのか?

それを何度も自問自答して、
出した結論なのです。

 

フリーエージェントに挑戦したかった。

起業して、社長になりたかった。

もっと本気で生きれば良かった。

もっと学べば良かった。

もっと家族との時間が欲しかった。

もっとたくさんの人に影響を与えたかった。

もっと多くの人を救いたかった。

・・・・・。

やったことは後悔しません。

しかし、やらなかったことは、
ずっと後悔するものです。
一度しかない人生、これ以上、
挑戦せずに後悔したくない。
だからこそ、
自らが「自由」と「富」を手に入れ、
その力を多くの人に与えたい。

この、私を突き動かす原点を忘れず、
走り続けたいと思います。

人生一度きり。

一度しか与えられない、
素晴らしいチャンスです。

果敢にチャレンジしましょう!

 

藤沢涼


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セレンディピティ

2012年10月05日

※藤沢涼は今何位??

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「私が電通を辞めた5つの理由」、

本日は最後、5つ目の理由をお話させて頂きます。

 
私が電通を退社する最後の意思決定は、
「セレンディピティ」に因るものです。
 
この「セレンディピティ」、
どのような意味だかご存知でしょうか。
 
これは、何かを探している時に、
探しているものとは別の価値あるものを
見付ける能力を指す言葉です。
 
何かを発見したという「現象」ではなく、
何かを発見する「能力」を指します。
 
ふとした偶然をきっかけに閃きを得て、
幸運を掴み取る能力、ということですね。
 
私は、親の2度の離婚で傷付いた心を抱え、
アーティストになって自己表現するという夢で
その傷を癒していました。
 
しかし、その夢は叶わず、
母を慰める為にも、
母が望んだ人生を歩んできました。
 
慶應義塾大学を卒業し、
電通に入社するという「エリート人生」です。
 
一般的に称賛されるこの人生は、
私にとっては息苦しく感じました。
 
そして、
 
 「仮面を被らされたまま生きるのではなく、
  堂々と顔を出して生きたい。
  たとえ、それで顔を傷付けられても、
  気持ち良く空気を吸える人生にしたい。」
 
そう思って、
インターネットの中を彷徨っていた時、
出会ったのが、与沢翼会長です。
 
私は、与沢会長が提唱した
「フリーエージェント」という生き方に、
心から共感しました。
 
 「これからは大企業の時代ではない。
  個人の時代だ。
  輝く個人が、大きな力を持ち、
  その力に応じた正当な報酬を得るのだ。」
 
まさに、その通りだと感じました。
 
私が描いていた夢。
 
それは、
 
私のように傷付いた人の、傷を癒したい。
 
人生に悩んでいる人を、救ってあげたい。
 
生き甲斐を持てない人に、夢を与えたい。
 
どん底を味わった人に、希望を与えたい。
 
私は、「アーティスト」として、
歌を歌い、想いを届けることで、
このようなことを実現したいと思っていました。
 
しかし、与沢会長に出会ったことで、
「アーティスト」ではなく、「フリーエージェント」として、
すべてが実現できると確信したのです。
 
電通では、年収1,000万円のサラリーマン。
多くの人が称賛してくれますが、
誰かに夢を与えるのは「電通」という看板だけ。
 
私が多くの人の心を動かし、
自分自身の存在価値を感じられるのは、
「輝く個人」、「稼げる個人」になることでしか有り得ない。
 
自己表現の場を探し求めていた時に、
「与沢会長」との出会い、
「フリーエージェント」との出会いがあり、
人生の舵を大きく切ったこと。
 
これが、私のセレンディピティであり、
電通を辞める最終決断となりました。
 
以上、5日間に亘って、
「私が電通を辞めた5つの理由」を
お話させて頂きました。
 
いかがでしたでしょうか?
 
宜しければ、
読んで頂いたご感想を下さいますと幸いです。
 
今後も、自分の人生、価値観、展望など、
すべてをお話して、
ここに「藤沢涼」を刻んでいきますね。
 

藤沢涼


大手広告代理店は崩壊に向かっている。

2012年10月04日

※藤沢涼は今何位??

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「私が電通を辞めた5つの理由」、

本日は、4つ目の理由をお話させて頂きます。

 
本日の記事は、波紋を呼ぶかもしれません。
 
電通の退社時に、
社内の機密情報を公開しないよう、
守秘義務契約を結んでいますので、
機密情報には触れない範囲で、
お話させて頂きます。
 
12年前、
私が新入社員だった頃は、
広告代理店はまだ、
コンシューマー・マーケットを動かす
華やかな存在でした。
 
広告制作は、
時代をリードするクリエイティブな仕事として評価され、
給与も高く、新卒大学生の就職人気ランキングでは、
常に上位に位置していました。
 
しかし、昨今は完全にその姿が変貌しています。
 
テレビでは、
クリエイティビティの感じられない
穴埋めの企業CMが垂れ流され、
深夜はどの局でも通販持込番組が横行しています。
 
雑誌は休刊・廃刊が相次ぎ、
豪華付録を付けなければ売れません。
 
新聞の広告面はどんどん減少し、
15段広告などは、
過去の産物になりつつあります。
 
このような時代の変化を受け、
マスメディア依存の大手広告代理店は
大打撃を受けています。
 
以前は大量に刷られ、
銀座のホステスにばら撒かれていたタクシー券は、
現在は全く発行されなくなりました。
 
給与も当然激減。
トップにあった就職人気ランキングは、
年々、下落しています。
 
ランキングの下落に表れているように、
大学生でさえ、
大手広告代理店が迎える未来に
気付いているのです。
 
それは、既存マスメディアの広告収入減少により、
長く安泰だったビジネスモデルが、
いよいよ、崩壊の危機を迎えているということです。
 
広告費が確実にシュリンクしていく一方、
広告の成果へのニーズは増大しており、
作業は煩雑を極めています。
 
これに応える為、
社員をどんどん増員していますが、
これがまた、固定費の増大となり、
傷を深くしているのです。
 
実は、私が入社した頃から、
このようになる危惧はありました。
 
しかし、大企業病を発症し、浮かれていた為、
結局具体的な対策が何も出来ていなかったのです。
 
JALの破綻も、このようにして起こったのでしょう。
 
ところで、
広告業界の景気の悪さは、
もちろん、日本だけではありません。
 
欧米でも、収益の急激な悪化と、
それに伴う冷徹なレイオフが実施されています。
 
ただし、国内の大手広告代理店には、
海外の広告業界とは異なる、
独特の病巣が存在しているのです。
 

・既存マスメディア・マージンへの過度な依存

・ドメスティックな企業体質(グローバル化の遅れ)

・高コスト(高い給与)

これらの詳細に関しては、
現在無料レポートを作成中ですので、
改めてご案内させて頂きますね。
 
大手広告代理店社員は・・・
 
沈みゆくタイタニックの中で、
外に出る術がなく、
海に飛び込む勇気も無く、
ただ、船に乗せられた
高級食材に噛り付いて
恍惚に浸っている・・・。
 
そして、
食材がすべて無くなるまで
しゃぶり尽くそうとしている状態です。
 
もう、残念ながら、手詰まりだと感じ、
私はそのタイタニックから、
一足先に下船したのです。
 
「フリーエージェント」という新たな船に乗って・・・。
 
藤沢涼

 


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黒子に徹するストレス

2012年10月03日

※藤沢涼は今何位??

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「私が電通を辞めた5つの理由」、

本日は3つ目の理由をお話させて頂きます。

 
私は自尊心を守る為、
自己表現する場所を求めていました。
 
しかし、2度の離婚で悲しみのどん底にいた母の為、
慶應義塾大学卒、電通勤務というエリート人生を歩み、
その肩書に相応しい人間となるべく、
仮面を被って生きてきたのです。
 
そして電通では、
新しい自己表現が出来ると思っていました。
 
そのような環境を、探し求めていました。
 
しかし、電通は、芸能界、マスコミの「黒子」です。
 
スポットライトが当たる芸能人や、
映画、ドラマ、ニュースなどの
華やかな世界の裏で、
ひっそりと暗躍している会社なのです。
 
私は目の前で、
多くの俳優や歌手などを見て来ました。
 
そして、強い嫉妬を覚えていました。
 
 「私がこのステージに立ちたい。」
 
 「私がその歌を歌いたい。」
 
 「私があの役をやりたい。」
 
目の前でスポットライトを浴びる彼らに、
強い敗北感、劣等感を味わっていました。
 
彼らと話すと、よくこう言われました。
 
 「良いよなあ、エリートは。
  俺も一度電通マンになってみたいよ。」
 
しかし私は、その度にこう思いました。
 
 「こんな人生、いつでもあげるよ・・・。」
 
 「可能なら、本当に人生代わって欲しい・・・。」
 
自分がスポットライトを浴び、
表現したいと願っているのに、
「黒子」に徹するストレスを隠せなかったのです。
 
でも、無理して笑顔でいました。
 
それが、私の心を更に抉る日々だったのです。
 
幼少の頃に傷付いた自尊心は、
黒子のエリートでは癒されなかった。。。
 
これが、私が電通を辞めた3つ目の理由です。
 
藤沢涼

 


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自分の存在価値

2012年10月02日

※藤沢涼は今何位??

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「私が電通を辞めた5つの理由」、

本日は2つ目の理由をお話させて頂きます。

 
私は、親の2度の離婚という幼少期の経験から、
 
「何のために産まれて来たのか?」
 
という問いを、
ずっと自分自身に問い掛けてきました。
 
その過程の中で、
承認欲求が大変強くなったと自覚しています。
 
「私を見て欲しい」
 
「自分を認めて欲しい」
 
という思いが、心の奥底から出てくるのです。
 
「電通」では、多くの関係者が私を称えてくれました。
 
最初は、そのような環境の中で、
少し気分良く感じることもありました。
 
しかし、
私を称えてくれるように感じていたその視線は、
実際は、私が所属する会社に向けられていました。
 
私がその組織から離れたら、
その視線はもう私には向けられない。
それが間違いないことを確信していました。
 
そしてそのことに、
強烈な虚しさを感じていたのです。
 
皆が評価してくれているのは、
私が所属している「電通」という会社。
 
誰も、私自身を評価してくれない・・・。
 
電通という大きな組織の歯車では、
自分の存在価値を感じることが出来ない。
 
自尊心を守る為にも、
私だけの場所を見付けなければ・・・。
 
私の心は傷付くだけ傷付いて、
ボロボロになっていました。
 
もう限界だ・・・。
 
そう気付いたのは、
入社12年目の春でした。
 
これが、私が電通を飛び出した2つ目の理由です。
 
藤沢涼

 


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「安定」が心を「不安定」にした。

2012年10月01日

※藤沢涼は今何位??

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本日より、
「私が電通を辞めた5つの理由」を
お話させて頂きます。

 
「電通を辞めるなんてもったいない!」

というお声をたくさん頂くのですが、
熟慮した上での判断です。
 
人生を大きく変える岐路で、
私がどう考えたのか。
 
早速、1つ目の理由をお話します。
 
1.「安定」が心を「不安定」にした。
 
「良い大学」を卒業して、
「良い会社」に入る。
 
そして、「安定」を手に入れる。
 
これが、日本における人生の成功法則です。
現実は、もう賞味期限切れですが・・・。
 
私の母も、この成功法則通りに生きることを、
私に望みました。
 
以前も「藤沢涼の半生」で書きましたが、
母は、2度の離婚をしました。

私は、辛い人生を送ってきた母に、
少しでも良いニュースを与えたかった。
 
だからこそ、
母が望んだ「良い大学」と「良い会社」という
レールに沿った人生を歩むことで、
母を喜ばせたかったのです。
 
私の本当の夢は、
「アーティストになること」でした。
 
学生の頃に、芸能事務所に所属して、
音楽活動に命を懸けていました。
 
しかし、夢半ば、就職活動に入りました。
 
「アーティスト」には、
会社に入ってからでもなれる。
 
そう自分に言い聞かせ、
二足の草鞋での活動継続を考えていました。
 
そして、慶應義塾大学を卒業して、
株式会社電通に入るという
「エリート人生」を歩むことになったのです。
 
母は、心から喜んでくれました。
でも、その道は、私にとっては本望ではありませんでした。
 
ですから、ずっと、
「仮面」をかぶっているような思いで生きてきました。
 
常に、息苦しく感じていたのです。
 
周囲の知人や親族は、
「勝ち組」である私を褒め称えてくれます。
 
しかし、私自身はその「勝ち組」に
「価値」を感じていないので、
その度に葛藤を覚えるのです。
 
そこには、確かに「安定」がありました。
毎年、頑張っても、頑張らなくても、
年収1,000万円が与えられました。
 
一般的にはこれが幸せと思われるかもしれませんが、
私にとってこの「安定」は、心をどんどん不安定にしました。
 
私は音楽活動を通して、
生きる意味を見出したかった。
 
お金に恵まれても、恵まれなくても、
自己表現することで、自己実現したかった。
 
しかし、現実は、心を捨て、
エリートを演じる日々だったのです。
 
私の心はどんどん、
不安定になりました。
 
一般的に「安定」と言われているものが、
私の心を不安定にした。
 
これが、電通を退社することを決めた1つ目の理由です。
 
藤沢涼

 


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