■元電通マン【藤沢涼】の挑戦

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◆藤沢涼の半生①【出生~10歳まで】

2012年04月28日

 
私は、1979年、
鹿児島に産まれました。

物心が付いた頃から、
父親はいませんでした。

私の実の父は、
愛人を作り、
その愛人と一緒に
福岡で暮らしていました。

私は当時、
父親がいないことを
不思議に思っていましたが、
その理由を母に聞くことは
出来ませんでした。

幼い子供ながら、
それが「タブー」であることを
察知していたのです。

そして、
私には2歳下の弟がいたので、
弟を守る為にも、
私が父親の役目を果たそうと、
精一杯、
「大人」を演じていました。

しかし、
所詮は幼い子供です。

授業参観や運動会に
母親しか来ないことを、
とても辛く感じていました。

 「なんでいつも
  お母さんだけなの?」

という友達の
デリカシーの無い
(でも子供だから致し方ない)
質問に傷付き、

 「お仕事が忙しいみたい・・・」

という精一杯の嘘が、
更に自分の心を抉りました。

でも、母は私達兄弟を
大きな大きな愛で
包んでくれました。

母が仕事で家にいない時は、
近くに住む祖父母が、
私達を守ってくれました。

ですから、
私と弟は、
母子家庭の環境でも、
捻くれること無く、
素直に元気に育ちました。

桜島の火山灰で
泥だらけになりながら、
日が暮れるまで
無邪気に公園で
遊ぶ仲良し兄弟でした。

「父親がいない」
ということを除けば、
愛に溢れた
温かい家庭でした。

あの日、
福岡に行くことになる日までは・・・。

母、祖父母、私、弟の5人で、
福岡に住む実の父に
会いに行くことになる日までは。。

何故、実の父に会いに行ったのか、
そこで、何があったのか、
また今度書きますね。

追伸;

私のこのような半生には
ご興味が無い方も多いと思いますが、
今後私が情報発信をする上で、
読者の皆様には私自身をしっかり
知って頂く必要があると考え、
何回かに分けて、
半生を書き綴ろうと思っております。

藤沢涼

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