■元電通マン【藤沢涼】の挑戦

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電通を退社し、稼げる個人、輝く個人(=フリーエージェント)を量産する為に活動しております。

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慶應大生、父親をナイフで刺殺して逮捕

2018年01月20日

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慶應義塾大学生の鳥屋智成容疑者(20歳)が、

父親の多可三さん(58歳)の腹をナイフで刺し、

現行犯逮捕されました。

 

その後、多可三さんは亡くなっています。

 

この事件、私にとって、

「他人事ではない」と感じる部分が、3点あります。

 

1.私も慶應に在籍していた20歳の頃、

 当時の父親に殺意を覚えていたこと。

 

2.彼らが住み、事件が起こった大田区南雪谷は、

 私が5年、住んだ街であること。

 

3.鳥屋容疑者は、中学生の頃から父親に虐待を受け、

 弟を守るために、感情的になって刺したこと。

 

私は、幼少期、母子家庭で育ち、

中学生になるタイミングで、

2番目の父と実の母が再婚することになりました。

 

しかし、結婚相談所でマッチングしただけの男は、

あっという間に化けの皮が剥がれ、

すぐに、酒乱と暴力が始まりました。

 

その標的に、私自身がなることよりも、

母親と弟に刃が向いた時、

私は、その2番目の父に、殺意を覚えました。

 

しかし、中学生だった私にとって、

長年、柔道で鍛えた屈強な男には全く敵わず、

どうすることもできませんでした。

 

こういうことを書くべきではないかもしれませんが、

実は、その父親が寝静まった頃、

台所の包丁を手に持ったことが、何度かあります。

 

何度も何度も自問自答して、最悪のことは避けましたが、

それでも、彼への憎悪はおさまりませんでした。

 

最後に、私の感情が爆発しそうになったのが、

離婚が決まって、母と弟と一緒に逃げ出した、

20歳の時です。

 

それまでの私や母、弟への仕打ちに対して、

絶対に許せないという思いが急に増大し、

彼を殺して、自分も死のうと、

今振り返ると、本当にバカなことを考えていました。

 

しかしながら、地獄から抜け出せることに

安堵の表情を浮かべる母と弟の顔を見て、

 

「過去のことは忘れて、明るい未来に向かおう」

 

と思えたのです。

 

今回の事件を見て、

私は急に、当時のことを思い出しました。

 

そして、あの頃は、

 

「人生なんて、いつ終わっても良い、、、」

 

と考えていた記憶もよみがえります。

 

でも、そんな人生の先に、

こんなにも幸せな未来が、待っていたのです。

 

あのような経験があったからこそ、

家族と仲良く、ゆっくり過ごせるだけで

とても幸せに感じられるというのもあると思います。

 

人生の不思議ですね。

 

私は、鳥屋容疑者のことを、

「犯罪者」だと片付けたくはありません。

 

私も、一歩間違えればそうなっていましたし、

その予備軍は、現代のストレス社会には

決して少なくないと思うからです。

 

親が、大きな愛で、子供を包んであげること。

 

まずは、それが日本を守るための大前提であると、

改めて感じた次第です。

 

少なくとも、私は、私の家庭の中で、

それを実践し続けたいと思います。

 

追伸;

 

こういう記事の時は、写真に悩むのですが、、、

 

最愛の息子が、積み木で遊んでいる1枚を選びました!

 

この子を、そして娘を、真っ直ぐ育てるために、

父親として頑張ります^^

 

 

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X JAPANライブで心身の「荒療治」

2015年12月04日

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2番目の父親の暴力で家庭内が荒れ、

非行グループに染まっていた私は、

ケンカ、タバコ、器物破損などの

バカな行為に明け暮れていました。

 

そして、何度も何度も、

母親が学校に呼び出される事態を

巻き起こしていました。

 

「全部私のせいです。

 実の父は愛人を作って消えてしまい、

 2番目の父からは虐待されて、、、

 そんな酷い環境で育ててしまっているので、、

 この子は、、、悪くないんです。。」

 

担任の教師や校長先生に

泣きながら頭を下げる母の愛を、

私は見て見ぬフリをしてしまっていました。

 

親が信じられず、社会が信じられない、

何を信じて良いか分からない、、、

そんな葛藤を抱えていたからです。

 

心のマグマは常に爆発寸前で、

もう少しエスカレートしたら、

「子供の非行」から「刑事事件」へ

発展してしまうような危機が

目の前にありました。

 

そんな危険な状態にあった時、

ふと目にしたX JAPANに魅了されました。

 

そして、その過程で、

私の心は少しずつ変わっていきました。

 

リーダーのYOSHIKIが、小学校4年生の時に

父が自死した姿を見たショックを乗り越え

真剣に音楽に取り組んでいることを知ってから、

私は自分を恥じ、更生に向かいました。

 

身に起こったネガティブな出来事を、

YOSHIKIは美しいメロディーに変え、

激しいリズムに変えることで、

多くの人に感動を与えてくれている。

 

一方で、私は、

ネガティブな感情を増幅するだけ増幅して、

破壊や暴力に繋げてしまうという

負の連鎖を起こしてしまっている。

 

自分がやっていることの愚かさを、

YOSHIKIが気付かせてくれたのです。

 

そして、東京ドームで見た5万人の熱狂は、

後に、私の大きな夢に繋がっていきます。

 

「東京ドームに5万人を集めて、

 感動を与えられるような人間になりたい」

 

14歳の頃に描いてから、

20年以上経った今も、変わらぬ夢です。

 

私の妻も、幼少期は片親で、

父子家庭で育ちました。

 

そんな辛い時期に、

心を明るく照らしてくれたのが

X JAPANhideでした。

 

私達夫婦は、それぞれ多感な時期に、

X JAPANの存在を糧にして

生きてきたのです。

 

X JAPANに出会っていなければ、

あのまま心を閉ざしていたかもしれません。

 

だからこそ、

私達はX JAPANの音楽を、そしてライブを、

私達共通のパワースポットにしています。

 

昨日、息子ができてからは

初めてとなるXのライブに行き、

久しぶりにパワーをチャージしてきました。

 

私は、病み上がりでしたが、

泣いて、叫んで、飛び跳ねて、、、、

たくさん汗をかいて、風邪を根治する

荒療治になりました。

 

50歳を超えているとは思えない

圧倒的なパフォーマンスで

魅せてくれる姿を見て、心から感動し、

自分のことも見つめ直しました。

 

彼らが私の「心」を、

そして「命」を救ったように、

私の自己表現が、少しでも、

誰かの希望になりますように。

 

私が表現への欲求を覚えた原点を

改めて感じさせてくれました。

 

hideが旅立ち、TAIJIが旅立ち、

Toshiが洗脳から脱して、、、

数多くのドラマから

人生をも深く学ばせてくれる彼らは、

現在、日本を照らし、世界を照らしています。

 

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どんな暗闇からでも、

光を放つことができるということを

教えてくれています。

 

私達に夢を与えてくれた

恩人達に感謝しながら、

2015年、残された日々を

走り抜けていきたいと思います。

 

 

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◆藤沢涼の半生⑭【与沢翼さんの一番弟子になる】

2012年05月24日

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「フリーエージェント」
という生き方を知ってから、
私の心の中に、
大きな変化が起きました。

私の夢は、
「アーティストになる」から、
「フリーエージェントになる」へ、
急激に転換していきました。

この、新たな夢を
私に与えてくれたのが、
与沢翼さんです。

与沢翼さんは、
インターネットビジネスにおいて
「フリーエージェント」を提唱された
第一人者です。

私は、彼が発信する
あらゆるコンテンツに、
衝撃を受けました。

すべてのメッセージに、
共感しました。

そして、

「私も『フリーエージェント』として大成し、
この方と一緒に、多くの人に夢を与え、
自己実現していきたい」

心から、そう願いました。

元来、行動が早い私は、
弟子入りを志願し、
彼に会いに行きました。

そして、私の半生を語り、
「フリーエージェント」への
熱い思いを伝えました。

すると、
幸運にも私の思いが通じ、
弟子として採用して頂くことが
決まったのです。

しかも、

「一番弟子」

と認めて頂いたのです。

私の人生が、
いよいよ変わります。

これから、
与沢翼さんの一番弟子として、
志高く生きていきます。

高い目標を掲げて
我武者羅に挑戦したいと
思っています。

このブログでは、
私の人生がどのように
変化していくのか、
すべてを書き記していきます。

藤沢涼の人生「第二幕」が、
いよいよ始まります。

藤沢涼

 


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◆藤沢涼の半生⑬【フリーエージェントとの出会い】

2012年05月22日

※藤沢涼は今何位??

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会社を離れて、
自分の人生を見詰め直しました。

私が抱いた、
「アーティスト」という夢。

幼少の頃の孤独や葛藤を、
自己表現することで発散し、
心の均衡を保ちたい。

そして、
私が自己表現することで、
多くの人に、夢や感動を与えたい。

心から、そのように願っていました。

「思考は現実化する」
と言いますが、
私は、自分が
アーティストとして
成功することを、
具体的に描くことが
出来ていました。

しかし、
私の思考が現実化することは
ありませんでした。

私の目に映る現実は、
音楽業界に隣接し、
マスコミや芸能界を
「黒子」になって支える
広告代理店の会社員。

芸能人や歌手と
接する機会が多い中で、
自分自身が向き合う相手側の
ポジションにいないことが、
とても悔しく、
悲しく、
辛い日々でした。

「なんで俺は、
このステージに立てないんだ?」

「なんで俺じゃダメなんだ??」

その思いは、
何年経っても
変わりませんでした。

いつまでも、抱いた夢が
褪せることは無かったのです。

そんな中での、
病気による休職。

私は、
インターネットの中を
彷徨っていました。

生きる意味を求めて
歩き続けました。

しかし、
どこに行っても
私が探し出したページは
「Not Found」。

生きる意味を示す場所に
出会うことは
ありませんでした。

それでも諦めず、
来る日も来る日も
彷徨い続けた私は、
やっと、ある男性に出会いました。

インターネットの中で
出会ったその男性は、
私がアーティストに
思い描いていた、

『自己実現をすることで、
多くの人に夢を与える』

という姿を、
別の形で実現していました。

私は彼に夢中になりました。

気付けば、
インターネットの中でずっと、
彼を追い掛けていました。

彼が発信する
すべてのメッセージに感動し、
どんどん魅了されていきました。

そして、私の夢は少しずつ、
彼の姿に重なっていきました。

その男性の肩書きは・・・

「フリーエージェント」

でした。

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◆藤沢涼の半生⑫【病気】

2012年05月20日

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私は、激務とストレスにより、
不運にも炎症性の難治性疾患を
患ってしまいました。

抗生物質、
漢方、
整体、
鍼、
ホメオパシー、
玄米菜食・・・・

あらゆる治療をしましたが、
全く治癒しませんでした。

日本で唯一
手術で治療する病院で
手術もしましたが、
残念ながら、
完治しなかったのです。

24時間、痛みと共存する生活は、
私の精神も蝕みました。

病気のことを考えると、
過去の幼い頃の苦しみも重なって、

 「私は何の為に
産まれてきたのか?」、

 「私が生きている意味は
あるのだろうか??」

そんなことを
考えてしまいました。

不安定な体調が続いていた中、
症状が強く出て、
会社を休むことも多くなりました。

薬を変え、
病院を変え、
あらゆる診療を受けても、
一向に良くなりません。

そしてついに私は、
会社を長期休職をせざるを
得なくなってしまったのです。

過労・ストレスの環境を抜け出し、
投薬と自宅療養により、
免疫力を回復させて
自然治癒力を高める必要がある
という診断を受けたのです。

私としては、
非常に悔しい思いでした。

離婚、暴力、非行・・・
あらゆることを乗り越え、
すべてが良い方向に
回転しつつあったのに、
「今度は病気か・・・」と、
絶望を感じていました。

今だから言えますが、
「死」を考えたこともありました。

しかし、
人間万事塞翁が馬。

この休職期間中に、
運命の出会いがあったのです。

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◆藤沢涼の半生⑪【電通】

2012年05月18日

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電通は、
芸能界と接するので、
華やかな環境でした。

楽しさ、やりがいを感じて、
業務に邁進していました。

ところが、業務量が膨大で、
眠れない日々が続きました。

噂には聞いていましたが、
想像以上の激務環境でした。

それでも、
同期の皆も同じ環境で
必死になって頑張っていたので、
私も負けていられないという思いで、
歯を食いしばって仕事をこなしました。

心と身体がボロボロになっても、
それでも戦い続けました。

でも、ある朝、
出勤途中の駅のホームで、
身体が動かなくなりました。

足が進まず、
手には力が入りません。

意識は朦朧としてきて、
少しずつ、音が聞こえなくなりました。

視界に映るものは、
すべてスロー再生され、
時が止まったように感じました。

気付くと、
私の周りには
人だかりが出来ていました。

私はホームで倒れ、
顔には擦り傷があり、
出血していました。

この時、
ずっと叫んでいた身体の悲鳴に、
やっと気付いたのです。

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◆藤沢涼の半生⑩【就職活動】

2012年05月16日

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「組織に縛られる人生なんて、
まっぴらだ・・・」

そう考えていた私でしたが、
芸能界で生きていく難しさも
痛感していました。

そこで私は、
就職した上で、
二足の草鞋で
音楽活動も続けよう
と考えました。

ちょうど、
スガシカオさんや
ケツメイシさんが、
元会社員であると知ったことも、
その決意を後押ししました。

そして、
どうせ働くなら、
マスコミ業界や
芸能界に近い会社で
働こうと考えました。

そこで浮かび上がったのが、
広告代理店です。

色々調べると、
会社員でありながら
クリエイティビティの高い
仕事をすることが出来る
と感じました。

そして、そこにはきっと、
自己実現の場がある、
と考えたのです。

ただし、
あらゆる会社の中でも、
トップレベルで忙しい
と聞いていました。

そのような激務環境の中で
音楽活動を続けることが
出来るのか不安でしたが、
現状出来るベストの選択だと捉え、
入社を決めたのです。

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◆藤沢涼の半生⑨【芸能界へ】

2012年05月14日

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大学へ入学後、
改めて、音楽に夢中になりました。

作詞・作曲して歌い、
自己表現することが、
私の感情を落ち着かせてくれました。

そして、いつの日か、
アーティストとして、
多くの人に私の思いを届けること、
心を揺るがすこと、
感動させること、
夢を与えることが、
私の夢になりました。

デモテープを作り、
レコード会社、
芸能プロダクション、
各社に送りました。

そして、
M.A.C internationalという
プロダクションに所属し、
芸能活動を始めることに
なったのです。

同じ事務所には、
某アイドルグループを
卒業したばかりの女性や、
バンドで多くのファンを獲得
していた男性なども
所属していました。

私は、彼等と一緒に、
USENのラジオ番組に
出演することになりました。


番組では、
オープニングテーマ、
エンディングテーマ、
挿入歌など、
各楽曲の作詞・作曲に加え、
パーソナリティーも
担当させて頂きました。

今や大活躍の
くりーむしちゅーさんを
ゲストに迎えるなど、
思い描いていた自己表現を
具現化しつつありました。

そして、大学3年生。

周りは就職活動で
慌ただしくなります。

私は、このまま芸能界で
努力していくことを
考えていましたが、
生計を立てる程の収入には
結び付いていませんでした。

現実を見て、
就職するのか。

このまま
夢を追い続けるか。

苦悩の日々を送っていました。

そしてこの時に、
母は3度目の結婚を選びます。

母は、もう結婚する意志は
ありませんでしたが、
生活の足しにと
頑張って働いていた
バイト先の同僚から、
真剣なアプローチを
受けたのです。

私と弟は、
結婚にあたり相談されましたが、
すでに十分な大人でしたから、
母が幸せな道を選ぶべきだと
伝えました。

「3度目の正直」とは言いますが、
母はやっと、幸せを掴みました。

泣いてばかりいた母が、
毎日、笑顔になりました。
私は、今の父に本当に感謝しています。

追伸;

2011年12月に行ったライブの映像、
もう一つアップしますね。



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◆藤沢涼の半生⑧【バンド結成】

2012年05月12日

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高校に入学した私は、
バンドを結成しました。

Xが好きな同級生で作った
Xのコピーバンドです。

私は、ドラムを担当しました。

そのバンドで、
私は本気でデビューしたいと考え、
オリジナルの楽曲で勝負していこうと
思っていました。

しかし、メンバーの一部は、
「高校時代の思い出」として
取り組んでいます。

練習にも熱が入らず、
当然、バンド自体は
デビュー出来るクオリティー
ではありませんでした。

そんな頃、
より玄人集団のバンドから
声が掛かり、洋楽のコピーを
始めました。

しかし今度は、
私自身が、ドラマーとしての
才能の限界を感じてしまいました。

「音楽」に人生を賭けたい。

でも、うまくいかない・・・。

そんな中、あっという間に
高校3年生になった私は、
音楽への情熱を休止して、
その熱を受験に
ぶつけることにしました。

家に帰ると
2番目の父とケンカになるので、
バンド練習に明け暮れていたのですが、
今度は、図書館と塾通いに
明け暮れるようになったのです。

東京大学、
慶應義塾大学、
早稲田大学。

これらのいずれかに
合格することを目標にして、
1年間、本気で勉強しました。

そして、
慶應義塾大学に入学しました。

その直後、
母は2度目の結婚生活に
終止符を打ちました。

泥酔による暴力が
6年間ずっと続き、
心身共にボロボロになっていた母は、
夜逃げのように家を出ることを
選びました。

離別した瞬間、母は
とても晴れやかな顔をしていました。

この時私は、
母の強さを垣間見ました。

そして、
ぶつかり合った2番目の父と離れ、
大学入学を機に
改めて音楽と向き合った私は、
ヴォーカルに転向することになります。

追伸;

当時の映像は残っていないのですが、
2011年12月に行ったライブの映像を
アップしますね。

 

 

藤沢涼

 


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◆藤沢涼の半生⑦【音楽との出会い】

2012年05月10日

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「このままではいけない。」

そう考えてから、
悪い仲間との付き合いを
無くしていきました。

そして、
「もう後戻りは出来ない」と
考えていた私を、
「社会への反発」の代わりに
救ってくれたのが、「音楽」でした。

幼少の頃に
少しだけピアノを習っていた私は、
絶対音感が身に付いていました。

テレビやラジオから
流れてくる気に入ったメロディーを、
ピアノで弾いていました。

ある日、
テレビから素敵なピアノが
流れてきました。

見ると、女性と見紛うような
派手なメイクをした男性が、
ドレスを着て美しい旋律を
奏でていました。

突然、
その男性は
ピアノが壊れる程叩いた後、
ドレスを脱いで裸になり、
ドラムを叩き始めました。

私はその姿に、
衝撃を受けました。

美しいピアノと激しいドラム、
その静と動のダイナミズムに加え、
ド派手な衣装とメイク。

そのバンドは、「X」でした。

私は、Xに夢中になりました。

美しいバラードと激しいロックが、
親の離婚と再婚で傷付いた私の心を
癒してくれたのです。

藤沢涼

 


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