あれから10年、子ども達に伝えたい想い
※激戦の社長ランキングの中で、
藤沢涼が、光栄なことに、◯位です!!
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東日本大震災から、10年が経過しました。
地震発生当時、電通に勤めていた私は、
汐留の47階建のビルが音を立てつつ、
今にも崩れそうになりながら揺れ、
周辺の高層ビルとぶつかりそうになる様子を見て、
夢なのか、現実なのかが分からず、
パニック状態になっていました。
同じフロアの女性社員のうち何名かが、
悲鳴を上げた大きな声を聞いて、我に返り、
同僚と共に見たテレビを流れる津波の映像に、
言葉を失いました。
テレビの奥に広がる東京湾の先のお台場からは、
大きな炎が上がっていて、
生きた心地が全くしなかった、あの数時間。
電車が停まり、3時間歩いて辿り着いた自宅でも、
原発の報道に安堵する暇なく、絶望を感じました。
これらの経験により、
「命が明日もある保証なんて、どこにも無い」
ということを強く感じたからこそ、
「諦めないで、チャレンジしたい」
という気持ちが強くなり、
起業することを決意しました。
震災後に生まれた私の子ども達は、
2人とも、あの日の経験をしていません。
日本で生きていくにあたり、
1つの大きなリスクである地震。
親が経験した10年前の出来事を
子ども達にもしっかり伝え、1日、1日を、
大切に生きていきたいと考えています。
今年は、息子が8歳となって成長し、
地震のこと、多くの方が犠牲になられたこと、
いつ、また悲劇が起こるか分からないことなどを、
理解してくれるようになりました。
まだ理解が難しい4歳の娘にも、
一生懸命教えようとしてくれる様子を見て、
生きていく上で大切にしたいことが、
こうして受け継がれていく奇跡を感じています。
そうして、娘も含めた家族全員で、
14時46分に黙祷し、犠牲になられた方、
ご家族の皆様に、哀悼の意を表しました。
今なお、避難生活を余儀なくされている方々に
心からお見舞いを申し上げます。
本日の写真は、子ども達との公園遊びです。
命を与えられ、今、
こうして生きていることこそが、奇跡。
このような日常の光景にある幸せを、
今日はより深く、噛み締めたいと思います。
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藤沢涼
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