■元電通マン【藤沢涼】の挑戦

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息子「10歳」&クリスマスお祝い

2022年12月24日

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息子が10歳を迎えて、電車のケーキで、

事前に第1段のお祝いをしましたが、

第2段の本番では、息子が今一番好きな

にゃんこ大戦争のケーキや

デコレーションを用意して、

改めて、盛大にお祝いしています。

 

 

クリスマスイブということで、この後、

両親や弟家族も我が家に集合して、

息子10歳のプレゼントと、

クリスマスプレゼントが飛び交う、

我が家の1年の中で最も

賑やかなイベントになります。

 

 

家族一同の忘年会も兼ねているので、

私にとって、とても大切な時間です。

 

こうして、私が43歳まで歳を重ね、

人生最高のクリスマスを

迎えることができていることに、

心から、感謝しています。

 

今年は、妻の手術や、祖母の他界という

辛く悲しいこともありましたが、

こうして、年末に笑顔で集まれることは

何より幸せなことです。

 

一方、私の古巣である電通には、

汚職事件関連でいよいよ強制捜査が入り、

既得権益が破壊されつつあります。

 

私が起業してから、10年。

 

電通の悪しき文化を

定期的に発信し続けてから、10年。

 

時間はかなり掛かりましたが、

時代が大きく変わっていることに、

少し、安堵しています。

 

ただ、本当の改革は、これからです。

 

私自身は、自由な人生を確立し、

経済的にも十分な資産と収入を得て、

幸せな日々を過ごすことができています。

 

しかしながら、10年前に夢に見た、

 

「たくさんの億万長者を輩出して、

 東京ドームに5万人で集まって

 皆さんと、祝杯を挙げる!」

 

という未来は、実現していません。

 

その夢を、現実にできるよう、

起業11年目を力強く歩んで行きます。

 

さて、今年も、3週間掛けて、

手作りでお部屋を豪華に

飾り付けてくれた妻に感謝。

 

 

こんなに愛してくれるママは、

なかなかいないぞ!

 

幸せ者の息子よ、産んでくれたこと、

育ててくれたことに感謝して、

人生を一緒に冒険して、

とことん楽しもう^^

 


 

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祖母の愛で「10km」最速ラン!

2022年11月18日

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私がトライアスロンへの挑戦を決めて、

苦手だったランに取り組み始めてから、

約1年半が経ちました。

 

そして、やっと、

初期に設定した目標を

達成することができました。

 

「10kmを、55分以内に走る!」

 

という目標です。

 


 

走るのが得意な人からすると、実は、

全く大した目標ではないのですが、

私は元々、有酸素運動が大の苦手。

 

若い頃はかなりのヘビースモーカーで、

体力は全く自信が無かった上に、

特に、走ることを嫌悪していました。

 

そんな私は、いざ走ってみると、

本当に全然走れない現実に苛立ち、

トライアスロン完走のためにも、

本気で走り込むことを決めました。

 

ところが、人の決意は弱いもので、

最初は週一で走っていたのに、

気が付いたら、2ヶ月走ってない、、、

 

など、全然成長しない日々でした。

 

気合いを入れ直したのは、

スイス、大阪、名古屋、

宮崎、鹿児島の旅行から、

東京に帰って来てから。

 

また、ぶくぶくと太ってしまい、

お腹に脂肪が乗った身体に

思いっ切り喝を入れるためにも、

最低週一のラン練習を再開しました。

 

そして今日、10km「54分48秒」という、

過去最高記録を出すことができました。

 

走っている途中、晴れ渡る空に、

祖母の姿が浮かびました。

 

息が苦しくなった時は、

病院での祖母を思い出し、

 

「最期に、とても苦しそうだった

 おばあちゃんに比べたら、

 この程度の息苦しさは、大したことない!」

 

と、自分を鼓舞しました。

 

祖母は、頑張って走り続ける私を

ずっと温かく見守ってくれて、

いつもの優しい笑顔で微笑み、

私に力を注ぎ続けました。

 

ですから、今回の最高記録は、

天国から見守ってくれている祖母に、

与えていただいたものだと感じます。

 

「道を定めて、真剣に挑戦するのよ」

 

「誰にも負けない根性で、努力するのよ」

 

祖母の言葉が、祖母の声で、

しっかり聴こえます。

 

これからも、私は自分を超えられる道で、

いつまでも、これまでの自分を

超え続けたいと思います。

 

 

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祖父が教えてくれた「命と今」

2022年11月15日

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私は、自分が書き綴った記事を、

将来、息子と娘に読んで欲しいと

考えています。

 

そう願い続けながら、

11日の思いを切り取って、

インターネット上に

刻み込んでいるのです。

 

「どれだけ、妻を愛していたか」

 

「どれだけ、息子と娘と触れ合っていたか」

 

「どれだけ、夢を思い描いていたか」

 

そして、最近では、

 

「どれだけ、祖母を愛していたか」

 

未来の子ども達が読んでも

決して恥ずかしくないよう、

思いを込めて、書き続けています。

 

一方で、祖母が今頃、

天国で再会しているであろう祖父は、

私が幼少の頃に良く、

戦争の仲間達の「死」のことを

話してくれました。

 

「おまえが生きている「今」は、

 戦争で死んで行った彼らが

 どうしても手にしたかった

 未来なんだよ」

 

幼い頃は、うるさいと

感じてしまっていたことでしたが、

歳を重ねた今、その有り難さが

良く分かるようになりました。

 

私達が、今ここに生きていることは、

ただそれだけで「奇跡」なのですよね。

 

その中で、何気ない日常にこそ、

価値を感じる気持ちも生まれています。

 

もし、私が病に倒れてしまったら、

ふと、この「今」という瞬間を狂おしい程、

求める瞬間が来るのでしょう。

 

だからこそ、「今」の笑顔を残したいし、

「今」の喜びを味わい尽くしたいと

考えているのです。

 

このような生き様が、

いつしか子ども達にも分かってもらえたら、

何よりの幸せです。

 

英語の「present」は、

「贈り物」であり、「今」です。

 

今という時間は、私達に与えられた

かけがえのない贈り物だということですね。

 

そんな思いで「今」を刻み、

子ども達の「資産」として、

私の記事をネット上で育てながら、

多くの仲間達と、輝かしい未来を

描いていきたいと思います。

 

本日は、祖父の病床に、

祖母、母、私の3人で駆け付けた時の

写真を掲載しています。

 

 

祖母のおかげで、

たくさんの思い出が蘇り、

私がこれまで、いかに幸せな人生を

歩んでいるかを改めて認識し、

関わってくださる皆様に感謝しております。

 

 

 

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電通退社時に、自分に課したこと

2022年11月14日

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私の祖母である西前久子に対して、

大きな大きな愛をくださった皆様に、

心から、感謝を申し上げます。

 

SNSのコメントやメルマガへのお返事で、

たくさんの方が温かいお言葉を

掛けてくださったので、

私の心は救われました。

 

オーストラリアのビジネスパートナー・

パーカーたまえさんは、

まだ1度もお会いしたことがないのに、

素敵なお花を贈ってくださいました。

 

 

メッセージカードには、

 

「涼さんの命を繋いでくださった

 お婆様に感謝申し上げます」

 

と綴られていました。

 

温かい愛を、本当に、

ありがとうございます。

 

私は、電通を退社する時に、

 

「毎日、インターネットに記事を書く!」

 

と、自らに課し、

 

「それでも成功できなければ、 

 この道を諦める!」

 

と、決意を持って起業し、

文章を書き続ました。

 

そして、何とかその先に、

経済的自由を確立することができました。

 

まだまだ未熟ですが、

大変な時でも書き続けたからこそ、

信念を貫いて発信し続けたからこそ、

今の私があると思っています。

 

今回、祖母が危ない状態になってから、

記事を書くことが難しくなって

しまった時期もあります。

 

特に、亡くなってからの数日間は、

書くのをやめようかと、

何度も考えました。

 

しかしながら、それでも、

こうして書くことが、

誰かの希望になり、誰かの勇気になり、

少しでも、その方達の人生を

より良くできる可能性があるならと、

書き続けてきました。

 

この覚悟を持てたのは、

祖母のおかげだと、改めて感じています。

 

祖母が書き続けてくれた手紙が、

私の人生を変えてくれた思い出が、

私の心には強く刻まれています。

 

「早く目的を定め、何をしたい、

 何になりたいとゆう希望と夢を持って

 それに向かって頑張ってほしい」

 

などという言葉に、

何度も何度も、励まされました。

 

 

ですから、言葉は人を動かすと、

私は信じていますし、

実際に私の人生を変えてくれた祖母に、

改めて、感謝すると共に、

西前家の子孫であることを誇りに思います。

 

今日、娘と遊んでいたら、突然娘が、

 

「パパが焼かれちゃうの、嫌だ!」

 

と言いました。

 

娘にとっては、

衝撃的だった祖母の葬儀。

 

私も、祖母の出棺時に

耐え切れずに号泣してしまったので、

事の重大さを認識し、

深く傷付いた私の心を理解してくれて、

私の心に寄り添ってくれたことが嬉しいです。

 

「あおちゃん、、、

 残念ながら、パパが焼かれてしまう未来も

 いつかは来てしまうけど、

 だからこそ、1日1日を大切にして、

 生きていこうね!」

 

祖母は、私と娘の絆も、

さらに強く、強くしてくれました。

 

 

 

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祖母へ「大きな愛をありがとう」

2022年11月13日

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祖母が亡くなってから10日が経ち、

斎場の空きを待って、やっと、

葬儀をすることができました。

 

昨晩のお通夜を終え、

本日のお昼に告別式を終えて、

先程、帰宅したところです。

 

 

この10日間で何度も記事にした通り、

祖母は、大きな、大きな愛の人でした。

 

母子家庭だった私と弟を支え、

経済的にも、ずっと助けてくれていました。

 

定期的に、直筆で長文の手紙を書いてくれて、

人生を、愛を、教え続けてくれました。

 

脳梗塞を患ってしまい、

半身不随になってしまってから、

私は両親と同居して、

一緒に祖母を介護しました。

 

愛の人だからこそ、母も、父も、

自宅で介護したいと考えましたし、

私の妻も、協力してくれました。

 

当時、妻は忙しい会社員でしたが、

食事の世話も、お手洗いの世話も、

献身的にしてくれました。

 

血が繋がっていなくても、

ここまで愛情を注ぐことができるのか?と、

当時は、これは目を疑うような光景だとも

感じていました。

 

愛は、こうして連鎖して集結し、

そして、さらに大きく膨らんでいくのだと、

愛の奇跡を学びました。

 

そんな祖母に、

 

「大きな愛をありがとう」

 

と、妻に筆で書いてもらって、

写真などの思い出と共に、飾りました。

 

 

 

2日間、過ごした斎場の空間は、

こうして愛に包まれて、愛に満ちて、

祖母を温かく、見送ることができました。

 

柩には、家族全員からの手紙も入れました。

 

 

今頃、わがままな祖父と再会して、

また、大変なお世話が

始まっているかもしれません。

 

祖父を愛し抜いた祖母が、

天国で改めて、祖父と愛を育み、

私達にその愛を注いでくれることを

願っています。

 

 

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祖父母の「美意識」を継承したい

2022年11月07日

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私の妻が「おばあちゃんには絶対勝てない」

と言った理由は、たくさん送ってくれた

手紙に刻まれた、達筆な文字だけではありません。

 

実は、私の祖母は、祖父の前で1度も、

スッピンを見せたことがありません。

 

食事の準備だけではなく、

外食から帰ってきた後の

自宅での晩酌の時も、

祖母はしっかりと化粧をした顔で、

お酒を出していました。

 

「夫の前でも、ずっと美しくありたい」

 

という高い美意識を知って、

祖父に尽くし続けていました。

 

その事実を知った妻は、

祖母のことを尊敬し続けていました。

 

20年近く前に亡くなった祖父は、

大酒飲みでタバコもたくさん吸っていました。

 

しかしながら、スタイルだけは、

常に美しく保っていました。

 

「少しでも、お腹を出したくない」

 

という意識を持って、

いつまでも、ジーパンをカッコ良く

穿きこなしていました。

 

祖父母共に、

美しくあり続けるという姿勢を、

いつまでも崩さなかったのです。

 

私達夫婦は、そんな祖父母の美意識を

少しだけ継承できていると思います。

 

だからこそ、

妻はオフの日でも必ず化粧をして、

美しい顔を見せ続けてくれていますし、

私は、お腹が少しでも出そうになったら、

しっかりと引き締める意識を持っています。

 

ですから、先月までに、

スイス、大阪、名古屋、鹿児島、宮崎で

たっぷりと蓄えた脂肪を、

この数週間で落としました。

 

「18.3%」だった体脂肪率は、

「16.4%」まで下がり、

 

 

「脂肪過多」に入っていたスタイルポジションは

「適正(理想)」に戻りました。

 

 

内臓脂肪レベルも、

「9」から「7」に下がりました。

 

 

どれだけ年齢を重ねても、

美男美女夫婦であり続けた祖父母を見習い、

私達も、カッコ良く美しい老夫婦を目指します。

 

ということで今日は、

結婚したばかりの若い祖父母と、

 

 

私が大学生の頃に祖父を弟と挟んで

撮影した写真をアップしています^^

(私がロン毛過ぎて・・痛いですね!笑)

 



 

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祖母からの手紙と、妻からの手紙

2022年11月05日

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祖母とお別れした寂しさを埋めるために、

これまでに祖母が送ってくれた手紙を

読み続けています。

 

母の再婚と共に、鹿児島を離れた私達へ、

祖母は定期的に、直筆の手紙を

送ってくれました。

 

特に、私が大学に入学して、

1人暮らしをしていた時期は、月に数回、

送ってくれたこともありました。

 

当時、若気の至りで、

 

「わかってるよ、おばあちゃん、

 もう手紙は良いよ・・・」

 

なんて、思ったこともあります。

 

しかしながら、今読み返すと、

祖母からの手紙は金言で溢れていて、

この手紙のおかげで、私は大いに、

成長できたと感じます。

 

「おばあちゃんも

 戦争で食べる物着る物も

 勿論お金もない、それこそ

 何もない時代を生き抜き

 結婚してからも色んな辛いこと

 苦しいことありましたけれど、

 どん底の生活を経験していますから

 どんなことにも打ち勝って

 生き抜く自信があります」

 

 

「価値ある人生にしてください。

 今まで味わった精神的な苦労

 色々とあるでしょうが、

 おばあちゃんも十七、八の時は 

 色々ありました。

 それが今になって

 すごく為になっています。

 何でも自分の体験は良い方へ

 良い方へと持って行くのです。

 そして強くなって行くのです」

 

 

「年商五十億とゆう社長の話でした。

 その時代にあった事業を先取りする目を持ち

 仕事が趣味とゆう社長でした。

 幼少時代残念な思いをしたのをバネに必ず 

 ああゆう人達を見返してやるとゆう根性が

 その人を今に導いたと思うのです」

 

 

私は、祖母の手紙が無ければ、

きっと、今の人生を歩んでいません。

 

私自身が、苦しい時期を乗り越えられたのも、

起業して自由な人生を勝ち取れたのも、

現在こうして、毎日文章を書き続けられるのも、

祖母の存在無しには有り得ないと感じました。

 

改めて、祖母に感謝しています。

 

一方で、「字が、心の美しさを表す」と

考えていた祖母は、妻の字を見た時に、

 

「若い子で、こんなに綺麗な字を

 書く人がいるのね」

 

と、感動してくれました。

 

そんな妻が、私が起業した直後の気持ちを

直筆で書いてくれた手紙があります。

 

 

祖母からの手紙と、妻からの手紙、

どちらも、私の宝物です。

 

 

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第2の母・祖母が旅立ちました

2022年11月04日

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6月末から入院していた祖母が、

昨日、天に旅立ってしまいました。

 

母子家庭だった私にとって、

母が仕事で自宅にいない時にも、

私と弟を守り、愛を注ぎ続けてくれた、

偉大な祖母です。

 

ですから、

母の母親という遠い存在ではなく、

私の大切な母が、もう1人、

私を育ててくれたと感じています。

 

「人生は、愛が全てよ」

 

そう教え続けてくれた、第2の母。

 

そんな、大切な人とのお別れでした。

 

6月末の入院当時から、

 

「いつ亡くなっても

 おかしくはない状況なので、

 覚悟してください」

 

と医師に言われていました。

 

その後、7月の神戸、8月の妻の入院、

9月のスイス・大阪・名古屋、

10月の鹿児島・宮崎、、、

 

私や家族が東京を離れる度に、

 

「今、急変しませんように・・・」

 

と願ってきました。

 

先月は、私の弟も、

フランスに行っていました。

 

そして、家族それぞれが、

日本や東京から離れる予定を終え、

改めて東京に再集結し、

いつでも駆け付けられるタイミングで、

祖母が旅立ちの時を迎えました。

 

コロナ禍で面会禁止と言われていましたが、

一昨日から、危篤となって

特別に面会をすることができて、

母は、隣に泊まることも許されました。

 

覚悟していたとはいえ、

呼吸が止まり、心臓が止まってしまって、

ピーという大きな電子音が鳴り響く病室は、

胸が張り裂けそうになりました。

 

号泣する私達を見て、子ども達は驚き、

とても不安そうにしていましたが、

その後に状況を理解してくれて、

命の大切さ、有り難さを、

祖母が教えてくれたと、感謝しています。

 

「もっと一緒にいたかった」

 

「もっとお話ししたかった」

 

「もっと色んなところに連れて行きたかった」

 

そんな感情も湧き起こりますが、

心を温めてくれる祖母との

素敵な思い出を胸に、

目の前の家族や仲間との時間を

より大切にしていきたいと思います。

 

ご心配やご迷惑をお掛けした皆様、

申し訳ございませんでした。

 

妻にプロポーズする直前、

私の生まれた街を妻に見せたいと

妻を連れて行った鹿児島旅行で、

祖母と妻と3人で、雄大な桜島や

私が卒業した小学校などを観光した時の

写真を掲載します。

 

 

 

深い人間愛を大切にする祖母も、

 

「こんなに素敵なみほちゃんとなら、

 幸せな結婚ができるね!」

 

と、太鼓判を押してくれた旅となりました。

 

尊敬する祖母にも認めてもらえたからこそ、

私は妻と結婚することを決意して、

現在、妻とこうして、幸せな家庭を

築くことができています。

 

おばあちゃん、ありがとう!

 

祖母の愛に、改めて感謝しています。

 

 

 

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祖母が94歳に!家族で願い合う夜

2022年08月12日

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祖母が緊急入院してから1ヶ月以上が経ち、

昨日、病院で94歳の誕生日を迎えました。

 

先月の入院当時の医師の見解は、

 

「来月、94歳のお誕生日を迎えることは、

 とても難しいと言わざるを得ない状況です」

 

でしたが、私達家族の願いが通じて、

祖母はまた1つ、歳を重ねることができました。

 

この期間に、2度の対面の面会に加え、

3度のオンライン面会をしています。

 

本当は、誕生日当日にこそ、

対面で会いたかったのですが、

 

「オンラインを含めて、

 これだけの面会の機会を設けることは、

 病院の中でも特例」

 

とのことで、今回は残念ながら、

面会を許可していただけませんでした。

 

コロナが憎いですが、

病院も精一杯、対応してくれていますから、

面会を諦めて、両親と弟と4人で集合して、

祖母の回復を願う、お祝い会をしました。

 

 

 

私達が見る祖母は、時に笑顔を見せてくれて、

しっかり頷いてくれて、決して、

危機的な状況だとは感じません。

 

しかしながら、実は、

ずっと高熱が続いていて、

血液の様々な数値が異常になっていたり、

突然、脈拍が高くなったりと、

医師の診断では、いつ急変があっても

おかしくないとのことです。

 

この1ヶ月、そんな現実を、嘘だ嘘だと、

決して受け入れられていませんが、

1つ前向きに受け止めたいのは、

こうして、家族が集合する機会が増えたことです。

 

特に、テレビ局で忙しく働く弟も、

最優先で家族の場に来てくれるので、

1次会で美味しい蕎麦を食べた後、

実家の2次会では、

ちょうど放送されていた弟の番組を見ながら、

なかなか聞けない撮影の裏側なども、

たくさん聞かせてもらいました。

 

 

引き続き、家族の時間を大切にして、

祖母の奇跡的な回復を願い続けたいです。

 

おばあちゃん、94歳おめでとう!

 

いつも、大きな愛をありがとう!

 

 

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祖母との「オンライン面会」に感動

2022年07月07日

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神戸から東京に戻って来た私達家族が、

真っ先に行きたかったのが、

祖母の病院です。

 

私達が神戸に出発する直前、

2度目の緊急入院をした祖母。

 

かなり状態が悪いということで、

集まった親族一同に対し、医師は、

 

「覚悟してください」

 

と言いました。

 

私達家族は、涙を流しながら、

ずっと祖母の手を握り、

感謝の思いを伝えて、

回復を願いました。

 

その後、状態が少し落ち着いたので、

救急から一般病棟に移ったのですが、

コロナ禍なので、そちらでは残念ながら、

お見舞いが不可です。

 

「もう一度、危機的状況にならなければ、

 面会することは一切お断りしていますので、

 ご理解ください」

 

と言う病院を、とても冷たく感じましたが、

調べると、現在はほとんどの病院が、

そのような対応をせざるを得ない状況のようでした。

 

もし、面会することができるなら、

予定していた神戸の旅行はキャンセルして、

毎日でも、祖母に会いに、

病院に行こうと思っていました。

 

しかしながら、会えないのであれば、

元気であり続けてくれることを信じて、

神戸の旅行で笑顔になった孫やひ孫を見せることが、

祖母にも力を与えると判断しました。

 

そして、神戸旅行を決行しました。

 

私達は、神戸を楽しみながらも、

頻繁に祖母を思い出しては、

状態が悪くなっていないかどうか、

母に確認の連絡をしていました。

 

医師や看護師の間接的な状況報告だけでも、

少しは安心しましたが、私達は、

祖母の顔が見ることを望みました。

 

「こんな時代だから、オンライン面談など、

 対応してくれたら良いのに・・・」

 

そう母に伝えて、確認してもらうと、

実は、すでに対応しているとのことで

(だったら最初から言って欲しかったですが・・)

私達が帰京後に実家に集まり、

祖母とオンライン面会しました。

 

 

 

もちろん、本当は、

病院に直接行きたかったですが、

オンラインでも、笑顔を見ることができて、

とても安心しました。

 

毎年、家族の健康を願う七夕ですが、

今年は特に、祖母の健康を第一に願っています。

 

いつまでも、私達の心を

照らし続ける存在である、祖母。

 

8月には、祖母の94歳の誕生日を

お祝いできることを願って、

引き続き、私達が力を与え、そして、

私達に力を与えてもらおうと思います。

 

 

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藤沢涼


 

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